5月下旬〜7月上旬までは定期テストラッシュでした。来週でようやくシーズンの終わりを迎えます。
中でも1学期中間・期末と2回試験があった生徒さんについては、夏休みを目前にようやく一息つける感じでしょうか。
さて課題提出にテスト対策にと大変な思いをして臨んだ定期テスト。
返却後は「良かった」「悪かった」だけを確認して、机の中に永久に封印、もしくは抹消したりしていませんか?
そんなナイーブな中学生諸君の行動を見越して、解き直し提出を指示する学校もありますが、それは当たらずとも遠からず。自分から机の上に問題用紙と答案を広げて、フムフムと分析している中学生は残念ながら少数派だと思います。
西荻塾では、主要教科または受講科目の答案については回収し、本人と担当講師で振り返りをさせていただいております。
確かに「良かった」ならまだテストを見直したくもなるもの(もっと得点できたのかを知りたいし)ですが、「悪かった」テストに向き合うことは勇者の行動です。大人だって自分の悪いところなんて見たくありませんから。
こういう時はもやもやする気持ちはいったん凍結しておいて、まるで他人の答案を見ているかのように、手順に沿って、淡々とシステマティックに処理しましょう。誰か指導者と一緒にやってもいいですが、生徒さん自身でも十分にできることですので、以下に手順をお示ししましょう。
やるべきこと1:間違えた問題を2つに大別する
まず自分が間違えた問題を以下の2つに大別しましょう。
「ケアレスミスによるもの」と「学力(理解)の不足によるもの」
です。もちろん上記以外に「時間内に解けなくても仕方がない高難易度問題」もありますので、大よそ90点前後をとれるはずであった満点の点数として考えると良いかと思います。
その際はどちらのケースなのか判別できるように印を入れておきましょう。保護者の方や塾の先生など、誰かに見せてフィードバックしてもらうときにも役に立つでしょう。「分かる」は「分ける」ことから始まります。
やるべきこと2:ケアレスミスをした問題について
【よくある質問・大学受験部寄稿編】計算ミスがひどいのですが・・・どうやったら治りますか?をご参照あれ。「ケアレスミス」のほとんどは、「ケアレス」な「ミス」ではないことに気づいていただけるかもしれません。
途中式を書かずに暗算で何とかやろうとして間違える生徒さんほど、その前提となる暗算能力自体もあまり高くないことがよくあります。途中式を書いてきた経験が少ないために、省いたとしても精度に支障が生じない途中式がいったいどの箇所であるのか、ということがつかめていないからです。
「書くのが面倒くさかったから」というのは「careless(ケアレス)」でないですよね。油断した(手を抜いた)プレーによる結果なのですから、潔く恥を知りましょう。
一口メモ:「油断する」let one's guard down(ガードを下げる)
やるべきこと3:学力(理解)の不足によるもの
理解不足や演習不足は進度が早く、高校内容まで踏み込まれることが多い中高一貫校の生徒さんに特に生じやすいです。
この場合数学や英語の早さよりも、むしろ理科や社会、国語におけるボリュームの多さゆえにテスト対策が大変になることもしばしばです。
もちろん例外もありますが、基本的に定期テストとは単元の中で「これだけは押さえさせたい」「きちんと理解しているか試したい」という設問意図のもとに作られています。
したがってテストにおける8割方の問題については、解けるようになっていなければ、それがそのまま学習上の積み残しとなり、以降の学習にじわりじわりと影響を与えていきます。そうして学力や理解に余裕がなくなってくると、前項の「ケアレスミス」も相関して増えていきます。
悪い循環は勇気をもって断たねばいけません。そのためのテスト振り返りです。ノートに間違った事項をメモしておくなり、スマホで写真をとっておくのもよいでしょう。テスト明けのひとまずの休息の後、最初の勉強はそこから始めると吉です。
解き直しの合格基準としては、なぜその解法を選ぶべきだったのか、解けなかった原因はどこにあったのかを説明できればOKです。
テスト範囲は単元ごとに設定されていることも多いので、全体を見通して単元全体に貫かれている考え方まで感じることができたら素晴らしいです(独学ではちょっと難しいかもしれません…)。
もちろん「あまり学習の位置付け上、重要でない問題」や「難関高校(大学)入試問題」など、いま解けずとも後の学習にあまり影響がないもあります。そこは塾の先生などを活用いただくと、自分の弱点を改めて把握してもらって一石二鳥、そして一人で反省会をやるよりは気が楽かもしれません。
おまけ精神論:何度も間違えてはいけません!
『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』相田みつを
川上の実家のトイレには相田みつを氏の日めくりカレンダーがありまして、小中学生だった川上はいたく感じ入っていました(時には全部めくって繰り返し読んでいました)。
大人だって間違えることはたくさんありますし、その内容と質は議論されるにしても、基本的には社会が誰かの過ちに対して寛容であってほしいものです。
熱血先生「間違ってもいい、間違えたら何度だって解き直せばいいんだ!」
だめです。こんな姿勢では学力は伸び悩みます。
間違ってもいいです。解き直すことも素晴らしいです。
しかし、「何度も」間違って解き直しているようではだめです。
「一週間前にも同じ指摘をしましたよ」「昨日も同じ問題で間違えたよね(泣)」「さっきも説明したぞ(怒)!」
皆さんが同じミスを繰り返す度に学校や塾の先生の語気は荒くなりますが、それに対して「次に頑張ればいいじゃん!」なんて密度も意識も低い、いい感じの免罪符を振りかざしてはいけません。そんな風に何度解き直しをしたとしても、また「あれはどうだったっけ?」と同じ間違いを繰り返すことになります。
「間違えてはならない問題では、絶対に間違えない」
「1回で覚えるべきことは、今この瞬間に1回で覚える」
「次の自分」をあてにして現在をサボらない意識の高さを持ちましょう。書いたり、口頭でまとめたり、誰かに説明したり、5分置きに記憶を確認したり…何とかしようとその時その時で、一回の間違いに必死になることが大切です。
それでも同じ間違いが繰り返される場合は、その科目についての勉強のやり方が根本からズレている可能性があります(全く抽象化・一般化せず、文字通り一言一句解答を暗記しようとしてたり等)。
定期テストの振替りを含め、自分を客観的にモニタリングすることは高度な知的行為です。高校3年生くらいになって、模試の見直し等ができるようになれば御の字かもしれません。
初めて定期テストを終えた中学生に向かって、「見直し(やり直し)をしておきなさい」と口頭で投げるだけでは、やはり教育不十分に感じます。従いまして西荻塾の先生方は今日も生徒と対話を重ねながら、良き伴走者たらんと走ってくださっています。身内にも感謝です。