西荻塾中学部ブログ

【中学生の質問シリーズ①】なぜ勉強しなくてはいけないのか?

西荻塾の川上です。

「中学生からよく受ける質問」というのがあります。
その背景には色々な考えや感情があっての質問かもしれませんが、基本的に誠実に答えるようにしています。
頻出の問いから記事にしてみようと思いますので、西荻塾ではこんな話題を中学生と講師が交わしているんだなと思っていただければ幸いです。

なお保護者の方からの質問については、こちらの「よくある質問(塾全体)」もしくは「よくある質問(中高一貫校中学生)」をご参照ください。

どうして勉強は必要なのか?

古典的命題ですが、納得できる答えを聞いたことのある方は、果たしてどれくらいいるのでしょうか?

「なぜ勉強しなくてはいけないのか」は「人間はいかに生きるべきか?」に近い根源的な問いかけですので、本来は自分自身で思索を重ね、自分の心に合った答えを見出していくべき類の問いだと考えます。そのためにはたくさん勉強することが必要です(笑)。勉強とはいかなる行為であるのかを知らなければ、その正体は見えてこないからです。

西荻塾の講師陣でも答えは様々ですので、あくまで川上個人の意見を以下に記します。

「誰に、どの知識や経験が、どのタイミングで必要になるかは分からないため」です。

「誰にでも、何らかの知識や経験が、いつか必要になる可能性があるから」と言い換えても構いません。

話が少しそれますが、日本の「文教及科学振興費(いわゆる教育費)」の歳出額は5兆4158億円であり、全体の歳出額の4.7%を占めています(国税庁のHP参照)。もちろんその原資として税金が使われているわけです。

当然税金は無駄に使われてはいけません。したがって教育費の予算もまた「有用な一定の目的を果たすため」に設定されるわけです。そしてその目的とは、将来を担う人材への国家的投資です。

国や自治体としては、世界に誇るような有望な人材を一人でも多く育てたいはずです。もしノーベル賞受賞者の山中伸弥教授のような偉人を、同年齢の120万人のうち数人でも輩出できたら、日本はもちろん世界中の人にとっても価値ある投資になったといえるでしょう。

しかし川上を含む一般的な中学生の発想としては、

「織田信長なんて他人だし、私は右ねじの法則なんて一生使わない」でしょう。

ある時点で興味が持てない分野があるのは当然のことであり、それで構わないと思います。

しかしあなたではない別の人が、織田信長の研究により従来の歴史観を刷新し、右ねじの法則で電磁気分野を発展させることがあるかもしれません。その一方であなたは「関数」を駆使して、将来の売れ筋予測の仕事をやっているかもしれません。
川上は市役所では国語力以外を使う機会に恵まれませんでしたが、西荻塾の先生になってからはいろいろ便利に使っています。そしてお給料から税金も納めているので、ちゃんと投資に対する回収はなされているはずです。

また主要5教科に限らず、スポーツや芸術、家庭科分野の授業だって、プロにはならなくともその人の人生にどのようなタイミングでどのような形で活きてくるのか分かりません。

あの時はサッカー少年で絵画や建築物、音楽にもさして興味はなかったけど…というのは大人あるあるです。そしてかつて受けていた教育が、あなたの人生を豊かにすることに繋がれば、必ずしもお金に換算される形でなくても、教育の目的は達せられるのです。

「一生使わない」と言っている本人であっても、実のところは分かりません。
教育の価値とはその場その時だけで決まるものではなく、一生を通じて関わってくるものだからです。「あのとき勉強しといてよかった」「あのとき勉強しとけばよかった」も両方あり得るのです。

幅広く学ぶことの楽しさについて

「教育を受ける権利」とは、誰しもが平等に教育を受けられることは当然として、最低でも義務教育内容については平等に教授され、世の中の様々な概念の存在を知るきっかけを与えられるということが重要だと思います。

まだ経験に乏しい小・中学生のときから「特定の分野を興味のある人だけが学べばよい」方式では、未知の分野を体験するチャンスを逃してしまう可能性の方が大きいと思います。
あらゆる分野は思わぬところで繋がっています。もしかすると一見関係ないような文学的素養が機械工学分野を発展させるということもあるかもしれません。

何事もちょっとはできるようにならないと、本当の意味での興味関心というのは湧きづらいものです。特に勉強のような知的カテゴリーについては、ある程度まで潜らないと奥深くにある面白さが見えてきません。

学校でも塾でも授業している先生が一番楽しそうにしている場面を見たことはありませんか?
それは楽しいからです。織田信長と彼を取り巻く歴史的背景を知り、右ねじの法則がフレミングの左手の法則を不要にできることを知るのは、ただ楽しいのです。

かつて「知識」というものが危険視された時代がありました。それは一部の特権階級の権威や権力を維持するための意図が背景にあったわけですが、それを除外したとしても、知識の側面にはある種の危険性も存在するというのも一つの真理であるかと思います。

これからも学校や塾、地域社会を含むたくさんの大人が、たくさんの知識を中学生の皆さんにお伝えすることになりますが、その知識の真偽はどう確かめるのか、その知識をどう運用するのか、という「知恵」も併せて磨いてほしいと思います。

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