本記事は中学生からのよくある質問に対する回答を想定したものになります。
保護者の方からの質問については、こちらの「よくある質問(塾全体)」もしくは「よくある質問(中高一貫校中学生)」をご参照ください。
先生、勉強しているのに成績が伸びないんです(泣)
よくある、しかしそれだけに一層の悲しさがまさる質問の第一位は、この質問ではないでしょうか?
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」とは、『アンナ・カレーニナ(トルストイ)』の冒頭の一節ですが、「成績が伸びない」という悲劇もまた、様々な形をしているものです。
才能でしょうか?
-悔しいですが、「記憶力」「理解力」「情報処理速度」「発想力」…など勉強に適した才能はあります。全員が東大理三や数学オリンピックには行くことはできません。灘高校や桜蔭高校の生徒さんだと、高校1年生で東大理三のA判定を出す方もいらっしゃるそうです。
努力不足でしょうか?
-自分が思う以上に、必要な努力量が足りてないことはよくあります。常に学年トップを走るような人の勉強時間を知っていますか?これは小学校1年生から積み上げてきた努力も含まれます。東アジア圏の伝統かもしれませんが、お隣りの中国・韓国では文字通り寝る間も削って、日本以上の熾烈な受験競争が行われているそうです。
勉強のやり方が悪いのでしょうか?
-勉強方法が違うとかなりの時間をロスすることになります。代表例として綺麗なノート作りに精を出すのはやめましょう。「東大生のノートはかならず美しい」という言葉もありましたが、ペンを何色も使うこととは本質的に意味が異なるはずです。
学校の先生の説明が分かりにくいので、授業中はいつも寝てます!
-(寝ると余計分からなくなるのでは?)そうですか、それは困った先生ですね。塾で一緒に勉強しましょう(塾では寝させません)
小学生で数検・英検を3級(中3修了レベル)まで取ったから、中学内容は出来てるも同然でしょ?
-数検や英検は6〜7割程度で合格できてしまうため、点を集めにいく勉強になりやすく、原理的な理解や反復練習、応用演習が不足している場合が見受けられます。この場合はしっかりと時間をかけて再学習する必要がありますので、受験に使用する目的以外では、あくまでその時々の目標として頑張りましょう。
問題集を何周もしているけど、すぐ忘れます…
-各問題の意味を考えながらやってますか?答えの丸暗記になっていませんか?このケースは人によっては根深いものがあります。できれば指導経験がある方に客観的な分析をしてもらうとよいでしょう。
○○会の東大合格者は▢名、☆☆ハイスクールの△先生は神!、◇◇塾の参考書ルートしか勝たん!
-様々な情報が溢れていることは両刃の剣ですね。受験情報や勉強法マニアにならず、目の前の課題に向き合って粛々と勉強を継続しましょう。外的要因はきっかけに過ぎず、勉強の成否を決めるのは生徒さん自身の行動です。
いかがでしょうか?
一口に「成績が伸びない」といっても、実に様々な背景を抱えているものです。
どれも興味深い(?)現象ですが、本記事では「コツコツ真面目に勉強しているのに、成績が上がらない」生徒さんについて着目していきます。
コツコツ努力型生徒さんの見えざる欠点
「諦めずコツコツ努力しなさい」
ある種の生真面目さを大切にする私たち日本人は、物心ついたときから何度も耳にし、時に自分も口にしてきた言葉だと思います。
川上の小学校3年生の学級通信のタイトルは「こつこつ、もくもく」でした。
今日もまた自習室で「コツコツ黙々」と手を動かし続けている塾生たちからは、静かな熱量を感じます。そして、コツコツと真面目に努力してきた人が報われる社会であってほしい、と切に願います。競争原理は別とは別に、努力が報われたという感覚は、どんなに小さな世界のことであっても、必ず経験しておくべきことだと川上は思います。
「勉強は才能」と申しましたが、それでも「勉強」という活動は、努力が反映されやすいものの一つだと思います。特に学問でなく受験勉強ということであれば、文科省が範囲をしっかり定めているため、必要な知識や方法は無料で手に入れることもできます。「解ける問題」を着実に増やすことでも、多くの高校・大学受験に対応できます。
また定期テストや受験の仕組みは、チーム戦ではなく個人戦であるため、友達や周りの環境も重要ではありますが、究極的には関係ありません。自分のやったことが基本的には成果として跳ね返ってくるはずです。
しかしそれでも上手くいかない生徒さんは、すごく歯がゆい思いをしていることでしょう。
引続き、その背景を確認していきたいと思います。
コツコツ努力する姿勢は正しい。しかし頭は活性化されているか?
「コツコツと勉強に取り組んでいる時間のほとんどで、実は頭をつかっていなかった」
語弊があるかもしれませんが、「真面目にやってるけど、上手くいかない派」に属する生徒さんは、上記に該当する場合がよくあります。
頭に負荷をかけることで、脳をアクティブな状態にしていなければ、暗記も理解も促進されません。
例えばノートをとることに一生懸命なあまり、教師の説明を聞いていない生徒さんの姿はイメージできる人も多いのではないでしょうか?
特に「聴く力」が弱い生徒さんにとって、教師の説明を理解しようとするより、板書を写し取る方が負荷が少ないのは言うまでもありません。
もう少し例を挙げてみましょう(やや冗長なので読み流してください)。
川上は用語暗記の練習の一環として、5分で用語を覚えて即小テスト、という指導をすることがあります。
5分間の生徒たちの様子を眺めていますと、本人はそのつもりがなさそうですが、はた目にはぼんやりと眺めているに等しい表情・動きをしている生徒さんがいます。5分間もずいぶん長く感じているようです。そして予想通り、20問中6~7個くらいしかできなかった、という結果になります。人間は忘れる生き物ですが、翌週にはほぼ全部が抜け落ちていることも多く、大変効率が悪い状態です。
一方で、用語を他のイメージと関連付けたり、定義を確認したり、声にぶつぶつ出したり、逆回しで覚えたり、または指で隠してプレテストをしたり、できるだけ頭がアクティブな状態のまま5分間を過ごした結果、あっという間にタイムリミットを迎える生徒さんもいます。小テストの結果も上々です。翌週にも一定の記憶は残されたまま積み上げていくことができるでしょう。
次の例は数学。暗記よりも解法への理解が求められる教科です。
2次関数で変化の割合を求めることになりました。
「変化の割合は比例定数の"a"だ!」
違います。一次関数の学習で変化の割合=傾き=比例定数の"a”と単純に覚えていたのでしょう。
「xの増加量分の、yの増加量」なんて面倒なことを考えなくても、解答できていましたからね。
「定数」や「変数」とは、変化の割合の「割合」とは、「傾き」とは何が傾いているのか、「増加量」とはそもそも何を指すのか、言葉の定義をたどり、時に図やグラフを書きながら抽象思考を重ねてきた生徒さんと、何も考えずに"定数a"を解答にする生徒さんとは見えない差がつき始めます。
このような生徒さんたちに共通する点は、「思考停止」です。
授業中も真面目にノートもとる、言われた宿題もやる、学校の課題もきちんと提出している、でも上手くいかない。そんな生徒さんは恐縮ですが、頭に負荷がかかるように学び方を根本的に見直す必要があります。
安楽な浅瀬でバシャバシャと遊び続けるのではなく、息を止めてより深くまで潜らなければ見えない景色というものがあります。居心地の良い表面的な学習を繰り返すのではなく、公式の証明や言葉の定義、適用場面まで「なぜ?」と深堀りして考える習慣を養いましょう。
「公式暗記すればいいじゃん」で終わらせてきた生徒さんには少々辛いでしょう。時間もかかります。しかしそれが本質的な学びというものです。誤解を恐れずに言えば「勉強をしているようで、必要なことを学んでいなかった」から、何とはなしの点数で成績が伸び悩んでいるのです。
そして具合の悪いことに「生徒さんが頭をどの程度使っているのか」ということは、外からはっきりとは見えにくいものです。
西荻塾は対話を大切にし、答案作成の様子、表情などから「頭の活性化度合い」を推し量っていますが、それでも見逃すことがないよう細心の注意を払っています。
ここまで散々な様子に描写してしまいましたが、もちろん勉強の習慣がない生徒さんよりは、はるかに優位な立ち位置にいます。
彼女(彼)たちは無意識的に省エネで頭を使ってきた習慣があります。もちろん中長期的スパンで、その思考の癖の軌道修正をはかっていくことが必要ですが、そもそもは真面目な生徒さんだけにぐんと伸びる瞬間も来ます。
才能ベースによらない、頭の良さというものもあります
私たち塾講師が「この子は勉強が上手だな」と感じる瞬間があります。
そう感じさせるきっかけは幾つかあるのですが、勉強の才能にあまり関わらないところで感じるのは、「一回目に間違えたこと(答えられなかったこと)を二回目か三回目には修正してきた」ときです。
「分からなかったこと・知らなかったことを分かる(できる)」ようにすることが勉強であるならば、上記のような生徒さんは、非常に勉強の効率がいいわけです。
「頭が良いから、たった1・2回で覚えることができるんだ」という反論はもっともですが、まずは「1・2回目」における学習密度の高さに注目しましょう。彼女(彼)たちはぼーっと聞いていることは少なく、疑問点があればしつこくその時に解消しようとします。反対に「いつか覚えればいいや」という他人事意識のままでは、本当にいつまでも覚えることができません。
これは姿勢の問題です。暗記が得意とか、情報処理が早いとか、ひらめきに長けてるとかいう話とは別物です。
繰り返しますが、「何度でも諦めずにやればいいんだ」という考え方は、良いようであまりよろしくありません。
「今日この瞬間に覚える、できるようになるんだ」という意識を欠いた勉強は、どうしても甘くなりがちです。少なくとも「中学3年生」「高校3年生(既卒生も同様)」という、はっきりとタイムリミットがある受験勉強とは相性が悪いように思います。
中学・高校3年間を週単位に換算すれば、52週×3年=156週です。
そのカウントが終わるまでに、志望する高校や大学が求めている学力に到達しなければいけません。
果たして今週覚えられなかった、できなかった何かをいつまで持ち越すのでしょうか?
受験が本格化する時期を迎えて
何だかお説教じみた話題に終始してしまい、申し訳ありません。
秋が深まり受験期が近づくと、我々塾講師もやはりソワソワしてくるものです。
「テストで悪い点をとっても大丈夫」「人間の価値は偏差値では測れない」「第一志望校が全てじゃない」と、ある意味では真実の優しい言葉を語ることは、少なくとも当塾に通う生徒さんの”今”、には全く意味を成しえません。
あるかもしれない将来の可能性が、今の努力によって開かれるのかもしれないのであれば、最大限の学力と効率を引き出すことが我々塾の役割です。
「あのとき私は努力できなかったから、あなたには何としても頑張ってほしい」
「努力によっては、ありえたかもしれない自らの過去」をほろ苦い感情とともに想像することは、きっと大人になれば誰しもあることで、よくある大人のちょっぴりズルい言葉に聞こえるかもしれません。
しかし、しかるべき年齢の、しかるべきタイミングにしかできない類の努力というものが存在するのは事実です。
そして今、皆さんは勉強という努力によって、ある種の可能性を勝ち取ることができるチャンス回を迎えています。
もちろん受験勉強は十年後にもできることですが、その時は全く異なる意味と価値を持つチャレンジとなっていることでしょう。
個別指導の形態でよく留意点として挙げられますが、いつも生徒のペースに講師が合わせてくれる環境だと、その子のイメージの範囲で小さく伸び止まりしてしまうことがあります。したがって講師のリードに合わせて少し背伸びしてチャレンジしてみることが、生徒さんの世界観と視野を広げる上で、大切な学習経験になります。
もう一歩先を歩いた自分が、どのような景色を見て、どのような心の境地に達しているのかは、結局のところ歩いてみないと分かりません。
もう一歩だけ、もう一問だけ、ちょっぴり違う世界を生徒さんに見せたくて、今日もまた授業終了の時間とにらめっこしながら、リードを続けています。