西荻塾中学部ブログ

【塾屋の仮説】勉強の趨勢は中学2年生にあり!?

いつの間にか肌寒くなり、暦の上では10月の半ばを迎えました。

高校3年生や既卒生はまさに佳境を迎えていますが、その姿を横目に高校2年生は受験を意識し始める頃になります。
「英語もまだまだ」「古典がやばい」「理科が全然できていない」等々、焦りを感じる入塾相談が増えてきました。

川上は高校生には国語を教えていますが、高校2年生の10月くらい〜3月春休みまでの様子で、受験学年時の国語が概ねどのレベルに到達するかは見えます。

これはペーパーテストの点数のみで判断しているわけではありません。
表情、手の動き、私語を含む発言内容、他教科への取り組み具合等から、「古文は共通テストで35点(45点満点中)とれるだろう」とか「現代文は早稲田はきついが、明治は対応できそう」など、ある程度具体的に分かってしまうのです。

これは川上が特殊な予知能力を持っているのではなく、どんな職業に従事されている方であっても、一定の予測や見通しを持って動かれているのと本質的には同じです。

もちろん感覚値ですので、予想に反して伸びたり、下がったりすることがあります。
ただしほとんどの場合で教科を超えて講師間の意見が一致しますし、予想から大きく外れたことはほとんどありません。

中学生であれば、高校2年生より流動的で、かつ化ける可能性も十分あります。
しかしあえて「勉強の趨勢は、中学2年生で決まる」という仮説に依って「中学2年生の学習内容」と「勉強への向き合い方」という視点でその理由を語ってみたいと思います。

「中学2年生の学習内容」をきちんと修了できているか?

一つ目の理由は、「中学2年生に学習内容のほとんどが抽象化され、その後の土台となる事項を学ぶから」です。
※中高一貫生の皆さんは半年ほど早いイメージをお持ちください。

数学であれば、連立方程式、関数、幾何の証明等、「具体物を数える」算数の世界とはずいぶん遠くなります。

英語であれば、助動詞、不定詞、比較等、そもそも文法タイトルさえも内容がイメージしづらくなってきます。

もちろんこれらは、小学生、そして中学1年生における積み上げの延長線にあるものですが、中学2年生を分水嶺として「それ以前は取返しが容易」「それ以降は取返しが困難」に分かれます。
中学受験等で培った知識、または勘やフィーリングといった当てはめも通用しなくなるので、成績も2極化してきます。
塾や私立中学校ならば中2後半~中3進学のタイミングで、習熟度別のクラス分けがなされるのも、中学2年生修了時でのそのような状況を予測しているからでしょう。

中学2年生が修了するまでに「かなり苦手だ」と思っている教科については、どこか挽回されるケースより、後々まで尾を引いた上に受験科目としては選択をしない(できない)といった未来に向かうケースが大半です。

またその教科を標準的な状態まで改善するには、保護者・生徒の皆さんが想定されている時間の「2倍」はかかると考えましょう。

川上もそうですが、人は往々にして自分の良いところは過大に、自分の苦手なところは過少に評価してしまいがちです。

「楽観的」というのは、人生にチャレンジングに生きていく上で必要なマインドだと思いますが、一方である程度の客観性が担保されていない自称学力は、進路指導のあてには決してならないというのが、川上含むほとんどの講師の見解だと思います。

※進学塾や中高一貫校などで周りの学力が高い場合、本人が「苦手だ」と思っていても、同学年の分布から客観的に見ると、決して「苦手」とは言えないケースもあります。

現在中学2年生の方は、学校生活や部活、友人関係もますます楽しくなってくる時期かと思います。

しかし「中だるみ」に心身を任せすぎることなく、勉強の時間をきちんと確保して授業についていくようにしましょう。少々怠け心が生じたとしても、完全に意識を断ち切らず継続していくというのが、中学2年生を生き抜く鍵です。

「勉強への向き合い方」が良好であるか?

二つ目の理由は「中学2年生になると周りを見る余裕ができ、自分の立ち位置を相対化して考えるようになるから」です。

もちろんペーパーテストの点数も重要ですが、この時期に「勉強へのスタンス」がどのように確立しているか、ということが浮き沈みのあるテストの点以上に重要な要素であると川上は考えます。

中学1年生の時期も、勉強の習慣づけという視点では、決しておろそかにしていいものではありませんが、それでも小学校とは全く違う新生活に追われているうちに、勉強のことが図らずも不十分なまま流れてしまったということもあるかもしれません。

しかし2周目である中学2年生は事情が違います。忙しいかもしれませんが、先の見通しが立たない状況ばかりではなかったはずです。
むしろある程度の見通しが持てるからこそ、その1年間の学習経験を通じて「勉強」という行為における価値判断やプライオリティ、今後の学力的な可能性についても、ほとんどの生徒さん自身の中では、大体の相対化を済ませてしまっているように感じます。

ここで勉強と上手に向き合えているのであれば、問題ありません。少々の進度差はひっくり返せます。
しかし勉強に対して否定的・無気力な状態が続く場合には、その状態が頑固な状態で固定化し始めます。

中学2年生という多感な時期は「勉強ができない自分の心を守りたい」一心で、望ましくない方向へと舵をきってしまうことがあります。多様な価値観があることも十分承知の上で、「勉強なんて何にもならない、意味がない」と根拠も持たず、本気で語る大人になってはいけないと川上は思っています。

その場合は大人のサポートも得ながら、勉強に肯定的な事実を作り出すことが必要です。

定期テストで前回比よりアップとか、自宅学習が毎日できるとか、熱心に塾通いしているとか、何なら中学受験偏差値70オーバーの超進学校に所属できる地頭がある、という事実を確認することでも構いません。
コツは人と同じレベルではなく、「人より頑張っている(と思える)」レベルで事実をつくりましょう。
苦しいですが、そうでなければ勉強に自信が生まれてきません。

「そんなの中3からでも、何なら部活を引退する高3(高2)の夏からでもいいじゃないか」とおっしゃる方もいるでしょう。

確かにその通りです。中には大きなビハインドを乗り越えて、まさに「逆転合格」としかいいようがない結果を出した生徒さんが、当塾においても何人もいらっしゃるのは事実です。

しかし新共通テストを来年に控え、特に東京大や旧帝大理系、医学部を始めとする最難関大学に合格するために、必要な教科数の多さと難易度の上昇を考えると、「果たして高校1年生4月からやっても間に合うのか?」と疑問に思えるほど勉強時間が必要な時代(※下記参照)を迎えています。

※一説には学校の授業とは別に、5000時間(単純計算で3年間を毎日5時間弱)〜7000時間の学校の授業を除く勉強時間が、東京大学や国公立医学部に合格するために必要だと言われています。

土台となるのは、中学生の時期に培った勉強への体力と自身への信頼、そして経験です。

精神論の歯がゆさ、そして頼もしさ

つまるところ「勉強しなければ、勉強は上手にならない」というトートロジーめいた結論に着地することになりそうです。

一流のマラソン選手が「いつも誰よりも走ってきた」と胸を張って、そのすさまじい努力をお話しされるのと、本質的には変わらないはずですが、そうはいっても「精神論」が結論となると、自身の切り口の甘さを歯がゆく感じます。

表に出すかは各塾のカラーや見せ方次第ですが、塾の先生であれば「生徒にたくさん勉強させたい」という、スポ根漫画に劣らぬ精神論を持っているのは(たぶん)間違いありません。そう思わない講師は、生徒の成績に興味がないのではないかとすら思えます。

なぜなら、やれば成績が上がるからです。
効率の良いやり方も伝授しますが、本質的には種も仕掛けもありません。そして最も効果と再現性があります。

しかし物事はそう単純に運びませんので、我々のような塾や予備校がサポートに入ります。

「生徒にたくさん勉強してほしい」と望むのであれば、逆説的ですが勉強以外の要素を育てることは、絶対避けては通れません。
我々も人間で、生徒さんも人間であるからです。人間が2人以上いれば、そこにドラマが生まれます。

「成績を何としても上げるために、人を育てているんだ!」とは、ちょっとおかしな逆転現象ですが、一事が万事、物事はつながっているということをいつも感じています。

中学2年生という時期が「勉強」という観点から、ターニングポイントの要素をたくさん持っていましたのであえて着目しましたが、反論の余地もたくさんあります(これを書きながら反論の数個は想像できています)。

つまりそれだけの見解に過ぎない、と思えた方はきっと大丈夫です

中学3年生になったから、高校生になったから、全て万事休すという極端な考えは、視野狭窄に過ぎるというものです。
状況に流されたままになるのは、それは別の意味での甘えでありましょう。動き出せば、何らかの道筋は見えて参ります。

とはいえ、独りだけで考えるものでもありません。信頼できる大人と相談してみましょう。
工夫ないし、時間はかかる(もしかすると塾代などのお金も)かもしれませんが、やりようはあります。

「あなたが転んでしまったことに関心はない、そこから立ち上がることに関心があるのだ」
アブラハム・リンカーンの言葉を引用して、今回の塾屋の独白の締めといたしましょう。

おあとがよろしいようで。

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