西荻塾中学部ブログ

主体性と学力、塾に通うことで身につけたいこと

中学生期というのは、とかく成長と変化に富むものです。

塾講師としての川上は、生徒さんの「学力」という側面を見ているにすぎませんが、それでも生徒さんが望ましい方向に変わっていく姿を目の当たりにできることは、この仕事をしていて一番の楽しみかもしれません。

ここでいう「望ましい方向への変容」とは川上のような塾講師が上からディレクションした結果ではなく、生徒さん自身が「こうなりたい(勉強が分かるように、解けるようになりたい)」という目標に向かって、自ら行動を変えていった結果のことを指します。

「自立心」や「主体性」なんて、教育サービス業界のきれいごとのように聞こえますでしょうか?

確かに世の中には「スパルタ・鬼管理・体育会系的厳しさ」を前面に押し出した塾があり、そのような指導を望む保護者の方・生徒さんが一定数いらっしゃることも事実です。

これは「勉強」という活動には、ある程度やりこまないとその面白みが感じにくく、その上一人でコツコツ継続していくことが、多くの人にとって大変であることが背景にあります。

西荻塾中学部に通塾している生徒層は、私立中高一貫校に通う女子生徒さんが多いことも相まって、どちらかと言えばソフトな雰囲気ですが、当塾には当塾なりの厳しさが存在します。もちろん管理も強制も指導手段の一つとしてあります。

しかし強制的に勉強をやらされるだけでは、ほとんどの生徒さんの場合において、小さく伸び止まりしてしまいます。これは特に教育業界に携わっている方でなくとも容易に想像できることかと思います。

まして勉強内容が高度になればなる程、中長期間の訓練を要しますから、厭々のままでは、それを継続する段階のどこかで行き詰まりを迎えてしまうでしょう。

したがってどれだけ業界のおためごかしに聞こえたとしても、生徒の「主体性」「当事者意識」を育てることについては、西荻塾中学部における最大の指導目標としています。

学力を最大限伸ばすことが塾の役割であるのならば、生徒さんを「やらされる勉強」のままの態度に留めてしまうことは、その可能性を最大限に伸ばしたい、という期待に背くことになると考えているからです。

偏差値だけが、学力の全てではありませんが、「主体性」なしの学習では、一定の偏差値以上の難関大学・難関高校には絶対に合格できません。

また近年は総合型・学校選抜型入試(旧AO入試)を考える高校生も増えています。

この選抜方式は一般入試をせずに済み、大学に入ることが簡単になった、とは決して言えません。高校1年生からの高い評定平均の維持や明確な志望理由、研究目標・活動実績などが問われることになりますので、計画性と実行力が非常に重要になります。

「あなたは何がしたいのか(できるのか)」という、まさに「学問への主体性」を試されることになるでしょう。

主体性はどうやって身につけるのか?

そうはいっても「勉強の主体性」なんてものが簡単に身につけられるなら苦労はしない、と思っておられる方は多いでしょう。
「親が言っても、ぜんぜん勉強しないんです」は入塾相談のテンプレートです。

しかし、勉強というジャンルに限定しなければ「主体的に物事に取り組んだ」経験が全くない生徒さんはいません。

スポーツでもゲームでも音楽でも何でもいいのですが、時間とエネルギーを何かに集中して取り組み続けた結果、大人が舌を巻くほどの深い洞察と幅広い見識を見せることがあります。

これは必ずしも好きなことに限られないと川上は考えています。保護者の方であれば、普段のお仕事や家事についてはいかがでしょうか?

家事や仕事についての向き合い方は様々かもしれませんが、よほど特殊な状況にない限り、誰かにいつも管理強制されないと、家事や仕事ができない・続けられないという方はあまりいらっしゃらないと思います。

すなわち「勉強の主体性」についても、生徒さんが勉強に理想的とされる行動を継続していくことで、だんだんと身につけていくことが可能です。

ここに一定の再現性があることは、川上も日々の指導の中から感じていますので、引き続き「生徒の主体性を育てること」についての当塾の考え方や取り組みをお示してきたらと思います。

優等生と塾通いの因果〜優等生を演じるべし

生徒C

今日は部活もないし、このあと遊んで帰ろうよ!

ごめんね、今日は塾があるから遊べないんだ…

生徒D

誘う方にも、誘われた方にも悲壮感が漂わずにはいられない、そんなやり取りが子とも達の間で、どれほどなされてきたでしょうか。学校の勉強なんて物足りない、「塾通い」する生徒は、畏敬の念(?)を込めてしばしば「優等生」と呼ばれてきました。

優等生だから塾通いしているのか、塾通いをしているから優等生になるのか、ニワトリと卵のようですが、「優等生」というキャラクターは、あくまで社会的に形成された概念であります。

したがって塾という小さな社会の一員になったことをきっかけに、行動や生活習慣が変わり、いつの間にか生徒さんのキャラクターが優等生化していくことは十分にありえます。

そこでお勧めしたいのが「優等生を演じること」です。
正確にいえば「優等生の行動を真似すること」です。

もちろん本物の「優等生」になる必要はどこにもないし、なろうとしてなれるものでもないように思います。むしろ自分の本質は自覚しながらも、勉強が上手な優等生を演じきることが成熟した態度だとも言えます。

鍵となるのは、優等生の「塾や講師を自分のために使う」というマインドセットを真似ることです。それもスマートに上品に塾を使うのではなく、泥臭くがっつり使おうとすることが望ましいでしょう。

ここで注意しておかねばならないのは、「塾通い」という環境は優等生の必要条件ではなく、行動変容のためのきっかけにすぎないということです。

塾講師の川上が言うのも何ですが、「塾に成績を上げてもらおう」と塾に依存した関係のままではいけません。それは同じく塾通いをしているように見えて、「塾を活用している」生徒さんとは全く別の世界で別の活動を行っているに等しいです。

「優等生」な同級生をよく観察してみましょう。観察場所は学校・塾を問いませんが、塾だと優等生が学校ではあまり見せてくれない水面下の努力も観察しやすいかと思います。

彼女たち(彼ら)が日頃どんな授業の受け方をしているか、どんな発言をしているか、得意・不得意な教科にどう対処しているか、授業外でどれくらい予習や復習に勉強時間を費やしているか、分からない問題やミスに対してのどのような反応を見せているか、等をよく観察することで、自分が優等生になるために真似るべきアクションが見えてくるでしょう。

余談ですが「勉強ばかりで真面目な子」の烙印を押されるのは中学生の多感な時期だと、ちょっぴり嫌かもしれません。その場合は「親とか塾の先生がうるさいから」と優等生を演じていることにすれば、友だちにも格好がつくかもしれません(別に格好つける必要もない気がしますが)。

西荻塾的優等生の育て方

先に申し上げた通り、当塾の中長期的目標は学習における「自立心」と「主体性」を育てることです。そのためには、早い段階で勉強を自分事としてとらえられるようになることを目標に据えています。

具体的には、学校の「定期テスト」を身近な指標及び、短中期的なマネジメント課題として設定しています。
体育祭や文化祭が保護者の方の行事ではないように、「定期テスト」は生徒さん自身の行事だと自覚することが大切です。

したがって定期テストの日程、予想されるテスト範囲と難易度、それに伴う提出課題などは、生徒さん自身が一番よく把握していなければなりません。加えてどの教科にどれくらいの時間がかかり、日常生活の中でどれくらいの時間を勉強に充てられるのかを把握できるようになれば、かなり自立的な勉強ができるようになったと考えてよいでしょう。

もちろん一足飛びにその域まで達するわけではありません。日頃の勉強や毎回の定期テストを通して、時には講師と一緒に振り返り、計画や勉強法を修正しながら、だんだんとその質を高めていきます。

前述したとおり、自主・自立心を養うのに、塾通いは必ずしも必要なわけではありません。
しかし塾通いはその第一義的役割として、生徒さんの学習環境にブーストをかけます。

当塾においても、中学1年生の早い段階から通塾されている生徒さんほど、やはり勉強の仕方が巧みで洗練されています。

彼女(彼)たちは良い意味で「塾慣れ」しており、学校行事や部活の状況、ご家庭の予定等も加味した上で、現在の状況や今後の見通しを立て、それに基づいた学習計画を自分から提案してきます。

もちろん学習における客観性は塾が担保しますので、学習の進捗コントロールや自習の呼出しを含め、時と場合によっては強くリードさせてもらうこともあります。自分で管理しようという意思はあっても、客観的な視点を持って適切なタイミングで、十分な質と量をこなせる生徒さんは少ないからです。

その一方で、たとえ4月に入塾したての中学1年生であったとしても、必ず学習の内容や進め方について生徒さんに説明し、生徒さんからの意見・感想も聞くようにしています。

その際は、明日の小テストのことでも、計算ミスについてでも、今覚えなければいけない英単語についてでも、それがどんなに些細な内容であったとしても、自分なりの見解を話してもらいます。

そうやって自分の言葉で、自分のことを他者に説明することで、自分の状況を客観的に眺め、次にどんな行動をとる必要があるのかを考えるきっかけとなるからです。

中学生段階で、学習に対する「当事者意識」を芽生えさせられるかどうかで、その子の3年〜6年後の到達レベルが大よそ決まってしまうといっても過言ではありません。

そのため西荻塾では、授業内外でのコミュニケーションについては非常に重点を置いています。

「もう大丈夫だな」と思える生徒さんと「まだまだ声掛けが必要だな」と思える生徒さんと、現在進行形で様々ですが、アスリートがその競技に適した身体をつくっていくように、だんだんと勉強に適した行動や考え方ができるようになります。

「勉強なんてしたくないんだけど…」と苦笑いしながら、今日もせっせと自習に来ている塾生たちからは、自分をきちんと客観視できる精神的な余裕と成長を感じています。それは既にまごうことなき優等生の姿です。

「狂人の真似(まね)とて大路を走らば、即ち狂人なり。偽りても賢を学ばんを賢といふべし。」『徒然草(兼好法師)

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